最近は、インスタグラムってのが流行ってるらしい
僕も登録して写真を上げてるけど、中々しっくりこない
なんか写真が「リアル」なのか「リアルじゃない」のか、
「楽しそう」なのか「楽しい」のか
「綺麗そう」なのか「綺麗」なのか
「美味しそう」なのか「美味しい」のか
「すごそう」なのか「すごい」のか
そこら辺が、よくわからない
みんなとにかく良さ「そう」に全てを伝えている
だからか、そんな「そう」を大切にしてアップしている人が多い気がする
昨年、とある旅イベントで「インスタグラマー」という人たちが話をしていた
インスタグラマー=フォロワーがものすごく多い人たちのこと
僕は気になって、どんなことを話しているのか聞いてみた
その内容に僕は驚いたのが
写真の「楽しそう」な撮り方とか「自由そう」に見せるやり方とか
私は今度ここに仕事で呼ばれて、海外に行って、自由に生きてます!
そんな話だった
「なんか世界のリアルってどこに行ったんだろう??」
毎日のように僕のインスタグラムにも、知らない誰かから「good!!nice photo!!!」などコメントが入る
一瞬僕のことフォローしては、翌日にはいなくなっている人だと思う
もう誰が僕のことフォローしているかなんて、わからない
インスタグラムをしていて、リアルがどこかに消えていってしまっている気がする
本質で繋がること・本質で生きること
僕はFacebookが好き
それは誰と繋がっているかわかるし、何より「物語」がある
アップした写真に、どんなことを感じて、今どう思っていてという文章もあり、そこには「その人らしさ」がある
それは、コミュニケーションをしている感覚だ
僕にとって、インスタグラムとFacebookの違いは、ものすごく大きい
一言でいうと
僕はFacebookがなくなったら、ものすごく悲しくて、友達と繋がれなくなるので困る
インスタグラムがなくなっても、困らない
これが大きな違い
インスタグラムは、とても商業的で本質よりも「どう見せるか」が大事
Facebookは、リアルな友達と繋がり、その友達から近況を知ったりすることができる
良さ「そう」に見せることって、すごく大変なことだと思うし、それって現実にどんどん「装飾」していくことになっていく
これは世の中がネットの中で、評価される時代になってきたことの現れでもある
すごい人だと、ご飯を一人で食べにいってるのに、二つ注文して二人で食べてるような写真をアップする人もいるみたい
現実とかけ離れたものを生み出した時に、そこのギャップをどうするか
「今」を楽しむことよりも、SNSを通したバーチャルな世界によりフォーカスしたものになった時に、
「良さそう」に見せることを追求した後に、現実の自分に戻った時に「何が残っているか」、それが何よりも大切なことだと思う
インスタグラムを「遊び」としてするのではなく、「自分を装飾するために」使っていると、生きづらくなることがあるかもしれない
インスタグラムを見ていて、そんな今の世界にある「バーチャル世界」を感じた
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