「世界一周」が「遊園地」となった時代

世界には、見たこともない絶景や食べ物、文化などがたくさんある

アイスランドに行けば、間欠泉があり

オーロラだって見れる

モロッコのシャウエンに行けば、青い街が見れる

ウクライナに行ったら、恋するトンネルがある

インドに行ったら、タージマハルを見れる

今の世界は本当に便利だ

まるで、「世界がアミューズメントパーク」になったように。

どこに行ったら、どんな絶景があり、その絶景の行き方、どの時間帯に行ったら綺麗に見れるかなども教えてくれる

こんなにも旅をしやすい時代は、今までなかったと思う

僕も1年前まで、2年半を掛け、世界を一周していました

そんな旅の途中に僕は、旅をしているのに旅をしていない気持ちになった

世界一周が冒険でなくなった!?

僕は旅をしている最中に、3ヶ月、半年と経っていくにつれ、旅がいつのまにか日常に変わっていた

絶景を見たり、場所を変えたりと、旅をすることが当たり前で、逆に日本にいくことが非日常になる感覚だった

半年とか経つと、日本食もすごく食べたいし、旅人によってはもう旅は満足したし日本に帰ろうとする人もいた

僕は、そんな時にすごく「ヤバイ!!」という感覚にあった

1つ勘違いしていたのが、「世界一周」という言葉の中に入ることで、自分が「自由になった」と思っていたことだった

もう1つは、僕はただ「攻略本に載っている旅」しかしていないということ

今まで誰かが書いてきたブログを追ったり、そこにある絶景を目指して旅をしていた

それって今まで社会のレールに乗ってきたことと、全く同じことをしている!!

僕はただ「世界一周」という「遊園地」を楽しんでいただけだった

本当の冒険てなんだろう??

もし冒険を定義づけるとしたら、「未知なる世界へ旅すること」だと僕は思っている

世界一周はもちろん壮大なるステージでの旅だけど、「未知」という部分では「??」となっている

今はSNSでどこに何があって、楽しめるかわかり、まさに壮大なディズニーランドとなっている

そんな中、僕は未知なものを探す旅へ出た

それは、「地球の歩き方には載っていない田舎」だったり、「世界一過酷なサハラマラソン」だったり、「10日間言葉を発しちゃいけない瞑想」だったりした

それらは僕の中では、すごく大きな未知への冒険だった

世界一過酷なサハラマラソン250kmを完走した後のこと、僕にはさらに大きな「ヤバイ」がやってきた

サハラマラソンよりも「感動すること」ってこの先にあるのだろうか??

「どんな絶景」よりも「自分がチャレンジしたこと」の感動を超えることは中々なく、僕は旅とは何かずっと考え続けた

最高の冒険は、知らない世界を創ること

旅をして1年を経つと、わかったことがあった

それは、移動することだけが旅な訳ではない

そして僕は自分の頭の世界を旅してみた

すると、頭の世界の中で僕はワクワクを見つけた!!

「これが実現したら、すごいぞ!!!」

そう!僕の最高の旅は頭の世界にあった

「自分が持っているアイデアを、実現することが最高の旅なのかもしれない」

もちろん、そのアイデアは世界をぐるっと周って色んなものを見てきたから、得られるものだった

「ロバと旅したい!!」

ただロバがいくらで買えるか

どこで買えるかわからない

そして、今僕がいるのは言葉が通じないキルギスという国

未知の場所で、攻略本のない世界

僕はそこで初めて世界一周に出て、旅をすることができたと思う

そして、今の時代は未知のことの方が少ない

今の地球で誰も知らない絶景を見つけることは難しい

誰も見たことのない動物を発見することも難しい

だったら、僕らにできる冒険はなんだろうか??

世界一周2年半を通して、辿り着いたのは

「未知なる世界を創ること」

自分の中に浮かんできたアイデアを実現することが最高の冒険であり、

それを作ってみんなにまだ知らない世界を見せることができたら、周りの人もそこに旅に出ることができる

今の時代では、「冒険する世界を創ること」これが楽しむの最上級にあると僕は思っている

さて、次はどんな未知なる世界を創っていこう。。。

みんなも一緒に「楽しい」の最上級へ旅しよー(^o^)/

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