日本を歩き続けて、ブログがストップしてましたが、今日から再開です!!
いーーーーーーーっぱい書きたいことがあるので、じゃんじゃん書いていきますね(^o^)/
まずは、山形の九里学園で講演した話からスタート!!
ご縁は突然やってくる
8月のある日
山形で様々な著名人の方達が講演していた場所で、僕はたった5分間のチャンスをいただいた
そのとき、その5分間でどれだけインパクトを残せるか、どれだけ心に届けることができるか、時間が短いだけに、話すことを絞ることができた
そして講演が終わると、二人の方から「ぜひ学校で講演してほしい!!」と連絡をいただいた
あの5分で、何かを届けることができたことがすごく嬉しかった
それをさらに多くの人に伝えられるチャンスが巡って来たことがワクワクになった
だけど、講演の依頼をもらっても実現するものと、実現しないものがある
お金、日程など全てのことをクリアにしていく過程を超えていくことが、イベントを実施するまでに必要なのだ
だけど、山形の人たちには、そんな心配なんて全く必要なかった
2ヶ月後に米沢の九里学園で講演することが決まった!
スーパーグローバルハイスクール
九里学園は、文部科学省から「スーパーグローバルハイスクール・アソシエイト校」として、指定を受けた学校。
スーパーグルーバルハイスクールとは、
「急速にグローバル化が進む現状を踏まえ、社会課題への関心と深い教養に加えてコミュニケーション能力、問題解決能力等の国際的素養を身につけ、将来、国際的に活躍できるグローバル・リーダーを高等学校段階から育成する」プログラム
九里学園には、1学年に1クラスのスーパーグローバルハイスクールクラスがある
今回はその3年生と1年生が混じった授業で、講演をさせていただきます
僕の高校生時代
僕の人生の半分はサッカーでできている
僕のアイデンティティは、サッカーでできている
そのくらい僕にとって、サッカーが自分になっていた
しかし、そのサッカーを手放したのが、高校生の時だった
中学から私立の高校に入学した僕は、一切友達のいない高校生活の始まりだった
その時に、高校では友達がすぐできるものの、仲よかった地元の友達と学校が終わると毎日遊ぶ日々だった
そのこともあり、僕はサッカー部に入ることをやめ、友達と遊び漬け
心のどこかで、「サッカーを本当にやらなくていいのか」と思う自分がいるけど、それを見ないふりして来た
サッカー部から入部してほしい!と声が掛かっても、自分から一歩踏み出せなかった
高校生活は、きっと周りから見ても順風満帆だったと思う
成績はいつもクラスで1番だった
サッカーをやらない代わりに、勉強で1番を取って、自分の価値を保とうとしていた
だけど、僕がなりたかったのは勉強で東大を目指すことではなく、サッカーで日本代表になることだった
サッカーでプロになろうとしてるのに、「友達と遊び漬け、勉強を頑張る」
方向性をかなり間違えている
それは自分でもわかってる
でも、僕が怖かったのは「他人や社会から認められないことだった」
友達と仲良くすること、勉強で1番取ることは、「誰からも」「社会からも」認められる1番の手段だった
僕は義務教育を誰よりも全うしていたと思う
宿題も毎日やる。授業も寝ない。成績良し。
だけど、その代わりにやらなかったことがある。
それが「サッカー」
僕は、自分の好きを大切にできずに生きてきた
周りばかり気にして、「誰かのいい」を大切にしていた
そのことに気づいたのが高校3年生
進路を決める時に、もちろん世の中で言う「いい大学」には行けるけど、自分のやりたいことがわからない
その時に僕は全部気づいた
自分はサッカーがやりたかった
この3年間は、なんのために生きてきたのか。
僕はずっと考える日々。夜は一人泣いていた。
時間は戻るはずもなく、後悔する日々の中、前に進むしかない
そこから僕は勉強していたにも関わらず、スポーツ学科に進学した
もう1度輝きを取り戻した日
大学に進学しても、「今からサッカーを初めてもプロになれるのか」という不安と戦っていた
そしてその不安に立ち向かうことができずに、僕はサッカー部に入ることができなかった
そこから大学生活を友達と楽しんでいたが、将来に対する不安は大きくなるばかり。
「何のために生きているのか」
その問いに追われる日々。
ずーーーっと考え続けても、本を読み漁っても答えは見つからなかった。
ただ1つだけ気づいたことがある。
もう行動に移すしかない!!
やりたいことを ばーーーーっと ノートに書き出した
そこに書き出されたのが、海外・留学・世界を見る・世界中に友達を作る・・・など。
そして、僕はその場ですぐ留学に行くことを決意した
行き先はフィジー
初めての海外が南国フィジー
日本の四国ほどの大きさしかないフィジー
どんな国かもわからないけど、そんな「未知の世界」に行くことが何よりの楽しみだった
ブラ〜〜
町を歩くと、フィジーの挨拶が飛び交っている
知らない人同士でも、挨拶をする習慣が日本人の僕にとってはとっても新鮮だった
ある朝、僕のTシャツがなかった
外を見ると、ホームステイ先の子供が僕のTシャツを着ていた
ある夜、バーでお酒を飲んでいると 僕のフィジービアがなかった
隣を見ると、僕が飲んでいたフィジービアをフィジー人が飲んでいた
ある日、僕と友達のフィジー人がバスを待っていると
その後ろにいたフィジー人が、お金を全くもっていなかった
なんでお金ないのに、バスに待っていたのだろうと思ったら、友達のフィジー人がその人のバス賃を払っていた
ある日の学校帰り、僕は歩いていると、急に車が停まった
ブラ!どこに行くんだい!?よかったら車に乗っていきなよ!
そんな日が7日間続いた しかも毎日知らない人だった
毎日がゆったりと、平和と、笑いと、take it easyで流れる
ストレスってなんだっけ??
未来のために生きる僕と、今を楽しむフィジー人
先進国で住んでいる僕と、発展途上国で住むフィジー人
幸せなのはどっちだ??
僕はフィジーに来て、何かが変わり始めた
こんなに人生を楽しむ人たちを見て、もう1度人生を輝かせたいと思った
そこから、僕は世界へ羽ばたいていく
九里学園では、5限6限と講演させていただき、もっともっと色んなこと、世界へ出てどう変わっていったかを話ました
今回高校生に伝えたかったことは、
「誰かのいい」ではなく「自分の好き」を大切に生きてほしい
1度きりの人生で、自分が幸せになった時、地球や周りの人たちの幸せも願うことができるようになることを、僕は10代、20代の経験で知りました
自分の経験が、一人でも多くの人の「自分らしく生きるキッカケ」になったらすごく嬉しいな^^
講演の依頼をしていただいた高橋さん
九里学園の松岡先生 鈴木先生
講演を聞いてくれた学生のみんな
ありがとうございました!!
次は、学校全体で世界一周写真展をやりましょーー(^o^)/
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