今コロナウィルスという生物のおかげで、海外ツアーもキャンセル、講演もなくなったりで
仕事という時間がめっきり少なくなった。
未定が増えて、より自由になった。
でも、よく考えてみたら、生まれてきてから人生は未定だ。
いつから先が決まってないと不安になったりし始めたのだろうか。
自由になりたいと思っている僕は、元々持っていた羽をたたんで
いつの間にか洋服を着て、靴を履いていた。
僕はいつの間にか学校に通い、いつの間にか試験勉強が始まり
いつの間にか学力が、自分の社会の価値指標になり、僕は勉強していた。
クラスで1番になることで、自分の価値が高まっていくような気がしつつも
僕はどこかで友達と楽しく遊んでいる人の方が、どこか羨ましかった。
その理由がわかったのは、高校3年生の夏だった。
僕は夏休みに髪の毛を茶色に染めてみた。
いけないことをしちゃったんじゃないかとドキドキしたけど、
新しい自分を見れて、友達とはしゃいで楽しかった。
夏休みが終わり、髪を黒くして、学校に戻った。
そして数日が経った頃に、アナウンスが流れた。
○年○組 中村雅人 至急職員室に来てください。
やばい、、、髪の毛染めたのバレたかも。。。
呼んだのは、学年主任のスキンヘッドの体育教師だった。
こえぇーーー。。。
ガラッ!失礼します。
そこには相変わらず強面の佐藤先生がいた。
怒られると覚悟していた僕は、先生の少し寂しそうな表情にびっくりした。
もうサッカーはやらないのか?
わかりません。
お前のDNAがもったいない。サッカーをしたらどうだ?
大学行ったらプロを目指してやろうと思います!
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僕は進学校に通っていた。
もちろん勉強することが良しとされる学校で、いい大学に行かせることが学校の評価につながる。
だけど、佐藤先生は、なんであんな話をしたのだろうか。
今思うと、一人の人生の先輩として、僕に話しかけてくれていた。
僕が1番知っていた。
好きなのは、勉強よりもサッカーだった。
本当はサッカーがやりたかったんだと、僕は先生に言われて気づいた。
そこから毎日泣いていた。
今の僕が何を選べばいいのだろうか。
だから
勉強よりも遊んでいる友達。
勉強よりも部活をしている友達がとっても羨ましかった。
僕よりも輝いて見えた。
勉強の先に待っていることってなんだ???
偏差値が高い大学に行って、いい給料がもらえる会社に入る。
つまり最終地点は、生きる不安を払拭するための「お金」を手にするためだった。
でも僕は1億円払ってでもサッカーをやらせてほしかった。
好きなことを失うことって、僕にとっては何よりも不安だった。
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日本の人生には、余白がない。
義務教育から大学、もしくは就職。
僕らは、常に選択を責められて、好きなものがなくても、何かを選ばなきゃいけないし、好きなことを犠牲にしてでも仕事を大切にしなきゃ、この経済社会では生きずらいみたいだ。
でも、僕が見た大人はそれに苦しんでいる気がした。
だから、僕自身から変わっていきたかった。
人生の余白がこの国にはない。
だから僕は、余白を作った。
この地球に降り立った初めての人間であるかのように、この世の全てに疑問を持った。
この世界を探求して、僕が好きなものを追い求めてみよう。
26歳で仕事をやめて、3年間好きなように動いてみよう。
ただゴール地点は、お金を稼ぐことにしない。
それがゴール地点であることで苦しんでいたのに、お金を稼ぐために旅をしていたら、同じゴールにたどり着いてしまう。
しっかりと僕が輝けるゴール地点を見つけたい。
僕はこの人生で、この余白を取ったことが本当によかった。
もう一度世界がこの世界に疑問を持ち、新たなゴールを見つける余白ができたらいいなと思う。
多くの人が、自分の好きなゴールに向かって進んでいたら、一気に世界は幸せになる。
僕はもう一度余白を全力で生きてみる。
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