【日本人!もっと世界を見て!!】世界を旅して、ガラッと変わったこと。

僕は生まれてきてから、あまり不自由を感じず生きてきた。

スーパーに行くと、どこかから届いた野菜や、カット売りされた肉が売っていて

学校があって、生きる道筋が示されていて

この世界に「お金」というものが存在していた時代に生まれた。

そう、僕は完全なる消費者な人間だった。

 

目の前に、出来上がったものが存在している。

それをお金という「丸いコイン・細長い紙」で買うことができた。

そんなことに何の疑問もなく、ただ僕の生まれた世界はいろんなことが繋がっていて、いろんなことがお金で完結していた。

お金があることで、世界がまるで自由で平和であるかのようだった。

僕が生まれた意味やこの世界の意味。

僕が全ての意味に疑問を持った、いやそれがわからなくなったのが、17歳くらいだった。

本を読み漁り、全てのことを知りたいと思ったけど、僕の生きる意味なんてどこにも書いてなかった。

そして世界の意味すらもわからなかった。

だから26歳の僕は世界へ飛び出した。

 

旅に出て、2日目、

中国

マフィアに監禁され、脅されて、結局20万円払って出してもらった。

あー旅をやりなおそうか。。。

そんなことも考えたけど、でもこんなことがある度にリセットボタンを押してたら、一生旅ができない気がした。

とにかく学ぶしかない。

よかったことは、「憎しみ」という感情が全く出てこなかったことだった。

何でこの人たちは、こんなことしなきゃいけないんだろう。

きっと家族もいる。愛する人がいる。

何かを大切にする。そんなための行動かもしれない。

だから、変えなきゃいけないのは、

その人たちよりも、何かもっと「莫大に大きな何か」な気がした。

 

インド。

やぁーマイフレンド!!

と馴れ馴れしく話しかけてくる。

まだ出逢ったばかりのに、フレンドっておかしくない?

そんなことを思い、インド人を無視したりしたこともあるけど、今となってはフレンドでもよかった気がする。

お店にいって、「これいくら?」と聞くと、1000ルピーとそんな値段しない気がする価格を言われる。

もっと安くして!

そう言うと、「じゃあいくらで買いたい!?」と聞かれる。

「いや本当の値段はいくら?」と聞くと、また適当な値段を言われる。

そんなことを繰り返していたら、僕はやっと気づいた。

僕は生まれてきた瞬間から「値札」のある生活をしていた。

スーパーに行ったら、全てのものに値段が書かれ、

100円ショップに行ったら、当たり前に100円でものが買える。

僕にとってそのものの価値は、値札でしかなかった。

高いものが価値がある。

勝手にそんなことを思い込んで生きてきていた。

悪いのはインド人じゃなかった。

 

食べ物

中国では、犬を食べたりするらしい。あとゴキブリも。

日本では食べないものを食べるって不思議だし、何か奇妙なことだった。

世界には動物愛護団体があるみたいだ。

犬を殺すこと、イルカを食べること、クジラを捕ること。。。

そんなことをやめてほしい!と言っているみたいだ。

僕は犬が好き。食べたいと思わない。

だけど、それを食べることが悪だとは思わなかった。

多くの人は「ゴキブリを気持ち悪い!」と言って、悪者のように扱い、踏んだり、叩いたりして殺している。

僕はその姿の方が怖かったりもした。

僕の友達に地球少年と呼ばれている人がいる。

彼は虫を愛して、ゴキブリを家に2万匹飼っているらしい。

いつの日かのニュースで、カップ焼きそばにゴキブリが入っていたというニュースがあった。

それを聞いた彼は、「それ当たりじゃん!」て言った。

僕はそれを聞いて、世界ってこういうことだよな。って思って嬉しくなった。

 

エジプト。

普通に歩いていると、肉屋さんが街のいたるところにあった。

店舗の前には、さっき切られたばかりのような牛の頭、ヤギの頭が置いてあった。

まるで新鮮さの証のように。

牛の肉も、ヤギの肉も、胴体のまま吊るされている。

そっか、肉って誰かが牛やヤギを殺してくれているんだ。

そんな当たり前のことを、僕はエジプトで知った。

お金を払って、誰かに殺してもらっている。

そういうことなんだ。

ある日、お肉屋さんに行った。

そこはカゴの中に鶏などの小動物がいた。

その日は「ウサギを食べよう!」ということで、

「ウサギをください。」と言ったら、カゴの中からウサギを取り出した。

優しそうなおばあちゃんは、「これでいいかい?」と僕たちに聞き、僕らは「いいのだろうか?」と目を合わせながら、頷いた。

すると、ナイフで一発だった。

皮もその場で剥いで、すぐにスーパーで売っているかのようなお肉になった。

何の肉か言われなかったら、これがウサギだと思うこともない。

ウサギを殺したけど、このおばあちゃんは僕たちにとって悪者ではなかった。

それだけは確かだった。

だけど、僕らは何者なのだろうか。

その疑問だけが残った。

 

エチオピア

ここはまるで時代が違うかのような世界だった。

民族ごとに言葉が違かったり、まだ社会や経済に支配されていない気がした。

僕はなぜかその世界を見れて嬉しかった。

ある民族は自分たちで動物を狩り、その動物の皮で服を作って着ていた。

すごく逞しくて、かっこよく見えた。

ムルシ族の彼らは

唇を切って、そこにお皿を入れていた。

その民族が珍しく、僕たちは会ってみたくて、写真を一緒に撮りたかった。

宿に帰り、彼らのことを調べると

彼らは、昔。

奴隷として連れていかれないように、女性は気持ち悪くみられるように、唇に穴を開けて、お皿を入れ始めた。

気持ち悪かったら、連れて行かれないから。

そうやって彼女らは、自分たちの身を守った。

僕の心が少し痛くなった気がした。

きっと遠いところで、その原因が自分にも繋がっている気がしたからかもしれない。

 

ケニア。

世界で最も大きなスラム街キベラを訪れた。

トタン屋根、泥で家を作っている。そんな人たちもいた。

フライングトイレットといって、袋に大きいのをして投げ捨てる人たちもいた。

歩いていると道端に袋が落ちていた。

僕は世界の貧困というものが、旅に行く前から気になっていた。

 

フィリピン

フィリピンで、ストリートチルドレンに出逢い、お金を渡すことがいいのか悪いのかわからなかった。

幸せって一瞬のものなのか、どこまで先のことを考えて、今を決めるのか。

わからなかったから、ストリートチルドレンと毎日一緒に遊ぶようにした。

そしたら、めちゃくちゃ楽しかった!!

すっごく笑ってて、とっても可愛かった。

この子たちが生きることが楽しいって思える世界にしたい。ただそれをすごく思った。

可哀想が可愛いになった。友達になれて嬉しかった。

そして、僕はこの子たちにどこかで希望を感じていた。

ケニアのスラム街もそうだった。

僕と同じ人間であること。

ただそれだけは間違いなかった。

 

マサイマラ国立公園

ケニアのマサイマラ国立公園に行った。

そこは全くの別世界だった。

ライオンがシマウマを狩して、食べていた。

ゾウがいて、その後ろにハイエナがいた。

車で回っていると、キリンが倒れていた。

そっか。この地球って人間のものだけじゃないんだ。

動物の世界にお邪魔させてもらった気分だった。

弱肉強食。きっとここから僕らは発展していったんだ。

 

インド。

ヴィパッサナー瞑想というものをした。

10日間言葉を発したり、いかなるコミュニケーションすらもとってはいけない。

毎日瞑想ばかりをして、永遠にも感じる時を過ごしていた7日目。

僕は少しの自由時間にただ10mの道を往復していた。

すると蟻が歩いていた。

「あ!そういえば蟻って足何本だっけ?」

そう思い蟻の足を数え始めた。

次にふと草を見ていたら、花が咲いていた。

僕はただただ「雄しべと雌しべ」の数を数え始めた。

そんな時、ピョン!とバッタが僕のところに飛んできた。

「わぁ!気持ちわる!」

僕はそう思った。

あれ? でもなんで気持ち悪いんだ。

子供の頃はあんなに大好きで、自分でバッタを捕まえに行っていたのに。

そうか。。。

変わってしまったのはバッタではなく、僕だった。

目の前にあることは変わってないのに、そこに感情を結びつけて、気持ち悪いと思ってしまっていた。

人生を経験していると、いろんな感情が結びついて、判断してしまうんだ。

だから、目の前にあることが「悪いとか、良いとか」って自分自身で決まっていくんだ。

バッタのおかげで、何かきっと生きている上で、すごく大切なものに出逢えた。

 

 

世界を見ると、僕の世界はガラッと変わった。

でも目の前にあることは何も変わっていなかった。

僕は生まれてきてから、全てのものが存在していた。

 

不自由なく生きれる。

お金があれば交換できる。

 

でも、多くのものが見えてなかった。

そして、僕は常に正解を学び、正解が答えだった。

だから正解を追って生きてきた。

だけど、正解がなくなった時、僕はどうしていいかわからなかった。

 

きっと僕と同じ感覚の人もいると思う。

日本で生まれてきたことで、「全てがある」世界を生きてきたからこそ、選択肢を与えられて選ぶことが得意だ。

だけど、急に選択肢がなくなり、正解がなくなったら、どうしていいかわからなくなる。

僕は完全な消費者だった。

ないことに不安を覚え、ある状態を作り出す。

それはお金だったり、モノだったり、そんな僕ら消費者を自由にしてくれるものを集めていく。

だから、正解がないことが僕らにとっては最大の怖さだ。

 

でも僕らはここまでずっと生きてきた。

もう一度僕らは「生み出すこと」を始める時代にきている。

世界と繋がり、大切なものを大切にする。

僕らはネット住民じゃない。体はこの地球の中にある。

生きる意味は、生きていると創られていくから大丈夫だった。

だから、この体で世界を見て、体験して、繋がり、愛するものを大切に生きていく。

みんなそれぞれがさらに強く、優しく生きていけたらいいな。

正解はない。だからこそ力強く進んでいこう!!

世界で最も自由なパスポートを持っている日本人だからこそ、できることがある。

どんなことがあってもいい。

だって、この世に悪者はいないのだから。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください